アーサー王伝説探訪④:アーサー王の主要拠点、「キャメロット」は何処

王になったアーサーは、義兄弟であるケイ卿を国務長官とし、ロンドン周辺をおさめ、これまで敵対していたスコットランド、ウェールズまで次々と征服した。

彼が主に拠点としていた場所、つまり、アーサー王が統治した広大な領土の首都的機能を果たしていた場所が、「キャメロット」という名の地と記されている。ただ、この「キャメロット」がどこに所在するのかは明らかになっていない。イギリス国内だけでも複数の「キャメロット」の候補地が存在するが、今回はそのうちの代表的な場所をいくつかご紹介しよう。

まずは、ブリテン島にできた最古の町であると主張している、エセックス州にあるコルチェスター。コルチェスターのローマ名「カムロドゥヌム」から派生して「キャメロット」と呼ばれていたという説があるそう。

ノルマン人たちにより建てられたというコルチェスター城
コルチェスターにはローマ時代の遺跡が複数残っている

つぎに、コーンウォールのティンタジェルのほど近く、キャメルフォードという小さな村は、その名前の類似から「キャメロット」であったと信じられている。近くを流れるキャメル川に架かる橋はアーサー王が最後の戦いで倒れた場所であるとも信じられているそうだ。

そして、ウィンチェスター。

ここは800年代にアルフレッド王統治時代にウェセックスの首都であったのと、トマス・マロリーがアーサー王伝説を書いていた15世紀頃に、アーサー王のものと思しき円卓を所持していたため、候補の一つとなっている。

その円卓は今もウィンチェスター城の中にある。

アーサー王は自分に仕える騎士たちの間で席次による格差が生まれないように、全員が座れる円卓を作ったという。そのため、アーサー王に仕える騎士たちは「円卓の騎士」と呼ばれていた。騎士の人数は諸説あり、12人だったという説から、300人だったという説まである。

しかし、残念ながらこの円卓は13世紀頃に作られた偽物(アーサー王が使っていたものではない)ということが今では分かっている。元はアーサー王伝説のファンだったエドワード一世がこの円卓を作らせ、16世紀になってヘンリー8世がさらにその上から今の状態に色付けしたという。その際に、自分自身をアーサー王に見立てて描き、その周りにアーサー王伝説に登場する24人の騎士たちの名前を記載したようだ。

ウィンチェスター城のグレイト・ホール内に鎮座する円卓
中央にはチューダー家の薔薇が。アーサー王のものではないとはいえ、歴史を刻んだ貴重な展示だ

その他、ローマ人の築いた要塞や大衆浴場の遺跡が残っている、ウェールズのカーレオンも、アーサー王伝説を記述した一人であるジェフリー・オブ・モンマスが主張していたこともあり、「キャメロット」の候補と考えられている。

円形劇場であったというローマ人の遺跡は、「円卓」にも見えることから、アーサー王との繋がりを見出す解釈もある。町には「キャメロット・コート」や「アーサー・ストリート」など、アーサー王伝説を彷彿させる通りの名前が多数存在していた。

閉園後に到着したため、場外から背伸びで撮影した円形劇場
散策中にアーサー王伝説の要素を見つけるのも楽しい

「キャメロット」の候補地はその他にもあるが、いまだに決め手はない。

その中でも、最も有力な候補とされているのはサマーセットにあるキャドバリー・キャッスルだと言われている。

ここは、アーサー王の埋葬地と考えられているグラストンベリーから近い上に、紀元500年頃の大規模な城砦跡と、建物の基礎や銀製の蹄鉄まで発見されていて、強力な族長であったことが推定できるそうだ。その族長がアーサー王かどうかは明らかになっていないが、周辺の地名がキャラマットやキャメルと呼ばれていたという事実がこの説をさらに後押ししている。

よりにもよって、今回はこの最有力候補地に時間切れで立ち寄れなかったので、ぜひ次回訪問して「キャメロット」の空気を体感したい。

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