英国版のモン・サン=ミッシェルをご存知だろうか?
ブリテン島のほぼ最西端に位置するこの小さな島は「セント・マイケルズ・マウント(聖ミカエルの山)」と呼ばれ、モン・サン=ミッシェルと同じく、山頂にベネディクト会の修道院が立つ。そして、干潮時には歩いて向かえるが、満潮時には船でしか辿り着けない。
確かに遠くから見ればそっくりである。モン・サン=ミッシェルのように、修道院の尖塔の先に聖ミカエルの銅像はないけれど、495年頃、この辺りの漁師たちの前に聖マイケルが現われたという言い伝えもある。
ちなみに、オカルト好きたちの間では有名な話だが、セント・マイケルズ・マウントをはじめ、アイルランドのスケリッグ・マイケル、フランスのモン・サン=ミッシェル、その他、イタリア、ギリシャ、イスラエルまで、全て聖ミカエルに捧げられた場所が、一本の直線で結べるという。これを単なる偶然と言う人もいれば、古代の人々による作為であると考える人もいる。そんな背景もあり、セント・マイケルズ・マウントには、何かしらのスピリチュアルなパワーが宿ると考えられているのだ。

近くの村マラジオンに到着したのは、ちょうどお昼前。干潮だったため、歩いて向かった。近づいて行くうちに、モン・サン=ミシェルよりも大分こぢんまりしていることが分かってくる。
山頂に立つ教会は、11世紀にエドワード懺悔王により、モン・サン=ミッシェルのベネディクト教会から分権され建てられたが、その後しばらくは薔薇戦争をはじめとする数々の戦争の要塞として使われたという。1660年以降はセントオービン家が所有しており、現在は敷地のほとんどがナショナル・トラストにより管理されている。


巨人の伝説
さて、セント・マイケルズ・マウントの逸話はまだまだ尽きない。
コーンウォールの伝承に、「Jack the Giant Killer(巨人退治のジャック)」という民話がある。なんでも、コーモランという巨人がこの島を作り上げ住んでいて、マラジオンの村の家畜や人々をさらっては食ってしまったとか。
村に住む少年ジャックは、夜中に、巨人が眠っている隙に島へ忍び込み、山の傾斜に大きな穴を掘って巨人を待ち構えた。朝になって笛を思い切り吹くと、巨人は飛び起き、まんまとその穴に落ちてしまったそうだ。こうして、巨人退治に成功したジャックは「Jack the Giant Killer」という称号を得たという。

城の入り口まで山を登っていく途中に、「Giant’s Well(巨人の井戸)」という標識が立っており、厳重に閉ざされた井戸に出会う。どうやらここが、巨人が落ち閉じ込められた穴のようだ。さらに進むと、今度は「Giant’s Heart」という標識が立っており、その傍に巨人の心臓と思われるハート型の石も見つけられる。



アーサー王伝説では、ここに住む巨人はアーサー王が倒したことになっている。
セント・マイケルズ・マウントに住む巨人が近隣の女や子供、さらにはブリタニ―の領主ハウエル卿の奥方までもさらって食ってしまったと聞きつけ、アーサー王は他の騎士たちと共にこの島へ向かった。人間を食している最中の巨人を見つけ、アーサー王は剣で切りつけ、その首を仇としてハウエル卿の所へ持って行くことにした。周囲の人々とハウエル卿はアーサー王に感謝し、アーサー王が命じた通り、山の上に教会を建てることにしたという。

山頂の城の内部も見学ができる。モン・サン=ミッシェルのような宗教的な厳かさも、巨人の気配もなく、ここで長年居住していたセントオービン家の生活の痕跡が感じられる。
セントオービン家は、18世紀にこの山頂に居住目的の城を建設し、1964年に多額の寄付金と共にナショナル・トラストへ譲渡したのだが、その代わりに以降999年間この城に住み続ける権利を得ているそうだ。その庭園も手入れが行き届き、ブリテン島ではあまり見ない南国風の植物が植えられ、一家の豊かさがうかがえた。



帰路は満潮。日暮れに近づくうちに、いつの間にか潮が満ちたらしい。来る時には簡単に近づけたのに、満潮になるとこれ以上近づくなと言われているような、神秘的で厳粛な雰囲気に変わっている。
今でも日暮れの満潮時に巨人の亡霊を見るという報告があるとか…時によりまとう空気を変える、不思議で美しいこの島に伝説は尽きない。
