魔術師マーリンや魔剣エクスカリバー、ハンサムで剣術に長けた騎士ランスロット…アーサー王伝説を詳しく知らなくとも、RPGやアニメ、映画を通じてこれらの名前やコンセプトに馴染みのある人は多いのではないだろうか。これほどまでに現代の世界中のサブカルチャーに影響を及ぼした古代の伝説はおそらく他に類はない。アーサー王伝説の舞台は紀元500年頃と言われているが、なぜそんなにも古い伝説が何世紀にも渡り人々を魅了し続けるのか。
そもそも、アーサー王がどの時代にどこに存在したかという歴史的証拠はない。しかし、アーサー王のことではないかと思われる断片的な歴史的記録は残っており、そこに人々が妄想を膨らませ理想の英雄像をあれこれ付け加えていったものが、現代にも伝わるアーサー王の英雄譚だ。我々はその実在の真偽への追究欲求と共に、壮大な物語そのものにまでロマン心をくすぐられるのである。
ローマとケルトの血を半分ずつ受け継いだというアーサー王の物語にはケルトの伝承が豊富に含まれている。私はケルト文化への興味からアーサー王伝説を知り始めたが、いつしかその物語の世界観そのものの虜となっていた。イギリスにはアーサー王と関わると信じられている場所が無数に存在し、いつかそれら全てを制覇することが私の夢でもある。今はまだ一部しか叶っていないが、ここでは私が実際に目にしたアーサー王の世界の一端を、物語のあらすじと一緒に少しずつご紹介していきたい。
「アーサー王伝説」とは?
旅へ出かける前にアーサー王伝説にあまり馴染みのない方に向けて、簡単にその概要をおさらいしよう。
アーサーは、紀元500年頃に、ブリトンに侵入してきたサクソン人を打ち破り、全イングランド、コーンウォール、ウェールズを治め、ノルウェー、デンマークをも征服し、ローマにまで遠征を果たしたブリトンの王と言い伝えられている。史実の中では、王という記述はないものの、サクソン人を打ち破ったローマ・ブリトン軍の総指揮を取った戦士として記録のある人物がおり、この人物がアーサーのことではないかと言われているそうだ。
アーサー王の生涯は1136年にウェールズ人のジェフリー・オブ・モンマスによる『ブリテン王列伝』にて物語化され、これは後世に影響を与えた伝説の種となった。アーサー王を守る円卓の騎士や、騎士たちによる宮廷恋愛や聖杯探求など、いまやアーサー王を語るに欠かせない要素は『ブリテン王列伝』の時点でまだ登場せず、吟遊詩人などによってアーサー王の物語がブリテン諸島からフランスやイタリアまでヨーロッパに広く伝わった際に加えられていったという。
14世紀のタペストリーに、九偉人の一人として描かれているアーサー王
By Unknown author – International Studio Volume 76, via http:/www.bestoflegends.org/kingarthur/, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4366920
そして、最終的には15世紀の、トマス・マロリーによる『アーサー王の死』にて現在の物語が完成する。アーサーは、人々が理想とする中世騎士道の英雄像を投影しており、王としての功績を残すばかりでなく、慈悲深さや美徳を備えた人物として描き出され、今日まで多くの人々に称えられているのだ。
By Charles Ernest Butler – print on canvas, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=277086
アーサー王生誕の地「ティンタジェル」
英雄アーサーの誕生は奇蹟的で、魔術の仕業により誕生したことになっている。父ユーサー・ペンドラゴンはコーンウォールのティンタジェル公王妃イグレーヌに想いを寄せていたが、その愛を断られていた。そこでユーサーは戦争を仕掛け、彼女の夫が出陣している間に魔術師マーリンの魔法によってその夫の姿へ変身。見事、彼女と一夜過ごすことに成功する。
そうしてふたりの間に生まれた子供がアーサーだという。ユーサーはその後イグレーヌの夫を殺してしまい、正式に彼女と結婚したので、アーサーは正当な息子として迎えられ15歳で王位につくことになったのだった。このように、昼ドラを何十倍ものスケールで描いたようなドロドロした人間ドラマがアーサー王伝説の魅力の一つである。
夫の死の発覚後、ユーサーに介抱され、彼と再婚することを決心するイグレーヌ
By “W. Benda” – Wladyslaw T. Benda? – Uther and Igraine by Warwick Deeping, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=69563816
ジェフリー・オブ・モンマスの『ブリテン王列伝』の中で、イグレーヌが夫の不在の間に、ユーサーと夜を共にしアーサーを身ごもったのは、ティンタジェル村の沿岸部に佇むティンタジェル城であると記述されている。そのため、今日までティンタジェル城はアーサー王の聖地として知れ渡るようになったのだった。
しかし、ここでもアーサー王が存在したという史実は存在しない。少し興ざめかもしれないが、歴史的に言えば元々ローマ人の居住地だったこの一帯に城が建築されたのは、アーサー王の時代より随分後の13世紀である。コーンウォール伯リチャードにより建造されたこの城は、その後荒廃していき、丁度良い塩梅に古代から存在しているかのような姿になったようだ。

史実と照らし合わせて正しいかはさておき、いちアーサー王ファンとして、伝説の世界を感じるため何としてでも訪問したい場所の一つであることに変わりはない。現在はイングリッシュ・ヘリテージが管理しており、毎年多くの観光客がアーサー王ゆかりの地としてここを訪れる。荒々しい波しぶきが叩きつける断崖絶壁に静かに佇む城の残骸は、伝説の始まりにふさわしいような神秘的で猛々しい姿であった。
昨年8月には城跡のある岬と本土を繋ぐ長い橋が建設され、ますます注目を集めている。私が訪れた際には不運なことにまだ工事中で城跡内へ入れなかったので、安心して旅のできる日が来たら再訪する予定だ。
アーサーが15歳で王となるまで育て上げたのは、ユーサーの助言者として仕えた魔術師マーリンだった。アーサーが王に即位した後も、マーリンは王に仕え続けたそうだが、彼が暮らしていたのはティンタジェル城の崖の下にある洞窟であったと言われている。そのため、ここは通称Merlin’s Cave(マーリンの洞窟)と呼ばれており、干潮の時にのみ洞窟をくぐり抜けることができる、なんとも神秘的な場所だ。

ちなみに、マーリンはウェールズの小国の王女がインキュバスという悪魔に誘惑され産んだ子とされており、予言や魔法の能力を備える英国で最も有名な魔法使いと言えるだろう。その卓越した能力は、彼がストーンヘンジを建設したという伝説からもうかがえる。しかし、マーリンの末路は意外にも間抜けで笑える。
マーリンは湖に棲息する妖精「湖の乙女」の一人ニミュエに恋し、魔法に興味を持つ彼女に教えてやっていたそうだ。しかし、ある日ふたりで旅をしている最中に、ニミュエは年寄りのマーリンの強い愛情についに辟易し、彼に教わった魔術を使い大きな岩で蓋をしてマーリンを地下に閉じ込めてしまったという。偉大なる魔法使いも女性の心までは思い通りに操作できないようだ。
不思議な力で作られた岩の脅威を見せようと、ニミュエを岩の下に案内するマーリンだったが、彼女に貶められそのまま閉じ込められてしまう
By Arthur Rackham – http://poulwebb.blogspot.no/2013/07/arthur-rackham-part-6.html, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=58058157
こうして永久にこの世を去ったマーリンだが、その魂は、私の次の訪問リストに入っているウェールズのバードジー島で今も生き続けているという。この小さな島から、ブリテン島で起きていることを静かに見守っているそうだ。今頃、ウイルスに踊らされている我々を滑稽だと笑っているだろうか。
ティンタジェル村は、特に19世紀以降からアーサー王伝説ゆかりの場所として観光で賑わい始めた。ちなみにその頃に、元々はコーンウォール語起源の「トレヴェナ」という村の名前を、アーサー王の時代と合わせるために「ティンタジェル」へ改名したそうだ。村には、ティンタジェル城以外に、14世紀の建物として貴重なThe Old Post Officeやアーサー王にまつわる絵画が展示されているKing Arthur’s Great Hall(今はフリーメーソンの集会所にも使われているそう)などの観光名所や、アーサー王にまつわる名前のパブに、魔術の品物を扱う商店など、歩いているだけで半日は楽しめる。


アーサー王伝説の語り始めにふさわしい、ティンタジェルはいかがだっただろうか。次回もディープなアーサー王の世界へご案内していこう。