神話と血の歴史が息づく谷、グレンコー

ふらりとローモンド湖に立ち寄り、さらに北上。山や湖などの自然が豊富なハイランド地方へ入ると、まもなく目にするのが美しき峡谷、グレンコーだ。連なる山々はかつて火山であったそうだが、荒々しい岩肌で身をまとい、重くのしかかる雲で全貌を見せないその姿に、なにか神々しいものを感じる。高くても丘程度の平坦な地形であるイングランドに見慣れてしまったせいなのだろうか。

グレンコー(Glen Coe)の地名の意味については諸説あるが、「Glen」=「峡谷」、「Coe」=「(近くに流れる)コー川」という説が有力だ。見た通りV字型に切り立ったかなりの急斜面なので、ロッククライミングには格好のスポットとのこと。普通のスニーカーで来てしまった私は、素直に諦めて少し登った所で写真を撮るにとどめた。最近では、映画『ハリー・ポッター』シリーズにて巨人のハグリットの小屋のシーンに使用されたことから、外国からの観光ツアーに組み込まれることも増えてきた。

山の間を抜ける国道A82では、贅沢にも車窓からその雄大な景色を拝められる
はじめに立ち寄ったローモンド湖。ワニのような怪物がいるという噂も
グレンコーに入る手前のラナックムーア周辺では、高台から絶景が眺められる

ケルト神話の舞台、グレンコー

威風堂々たる神秘的な雰囲気。長年の勘が働き、自然信仰であったケルト民族にとってここは神聖な場所だったのではないかとガイドに尋ねると、やはり当たった。ケルト神話にまつわる伝説が残っているらしい。

地元の吟遊詩人ジョン・キャメロン氏によると、グレンコーはケルト神話に登場する英雄オシーンの誕生の地と言われているそう。オシーンはアイルランド出身だが、ティル・ナ・ノーグ(日本語では「常若の国」と訳される)という、人々が永遠に若く、美しく、健康で、幸せに暮らせる楽園の王となった人物。オシーンという名はゲール語で「若い鹿」という意味で、その由来は彼の誕生の逸話にある。

ハープを弾くオシーン
By François Gérard – Livre de Pierre Rosenberg : Poussin, Watteau, Chardin, David …, Paris, 18 avril – 31 juillet 2005, Paris : Réunion des musées nationaux, 2005. ISBN 978-27-1184-914-7, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6939895

オシーンの母親サイヴァは、ケルト社会における祭司であるドルイドの愛の告白を断ったために恨みを買い、魔法で雌鹿に変えられてしまった。ある日、騎士のフィンが狩猟中に、鹿の姿である彼女を発見し殺そうとしたところ、猟犬がためらったのでその鹿の命を救ってやる。すると、鹿は突然美しい人間の姿に戻ったのだった。すぐに二人は恋に落ち、サイヴァはオシーンを身ごもった。しかし、ドルイドによって 再び彼女は鹿に変えられてしまい、そのまま森に逃げてしまう―。

そうして、鹿の姿のサイヴァが産んだ子を、「若い鹿」の意味である「オシーン」と名付けたそうだ。

彼女がオシーンを産んだ場所と信じられている洞窟はグレンコーの山の一つにある。Ossian’s Cave(「オシーンの洞窟」という意)と呼ばれ、山の中腹に切り込まれた鍵穴のような細長い入口が特徴だ。ロッククライミングが相当得意でない限りこの洞窟に到達することは難しいので、訪れる際にはくれぐれも注意。 ちなみに、私は車を止めた場所が良くなかったのか、目視で見つけることさえ叶わなかった。

By THE HAZEL TREE, Ossian’s Cave in Glen Coe
https://www.thehazeltree.co.uk/2015/11/26/ossians-cave-in-glen-coe/

その後のオシーンの生涯は日本の民話でも耳にしたことがあるような、なじみ深い内容だ。

成人後に騎士として活躍していたオシーンは、狩猟中に「常若の国」の王女ニアヴと出会い、その日のうちに結婚を申し込まれる。そして、あまりにも美しい彼女の姿にすぐに承諾してしまうと、そのまま彼女の祖国へ連れて行かれる。じきに、彼はその国の王となったのだった。二人の間には三人の子供が生まれ、幸せに暮らしていたが、三年ほど経過した頃、オシーンは故郷のアイルランドに帰りたいと妻に告げた。するとニアヴは、人間世界では三百年の時が経過しているため、彼に魔法の馬を与え、その馬から決して降りないようにと忠告した。オシーンはその馬に乗り故郷に戻るが、朽ち果てた父親の家を見るとショックを受け、不意に落馬してしまう。その瞬間、三百年もの歳月がオシーンの身体に訪れ、あっという間に老衰し亡くなってしまったのだった―。

「常若の国」に向かうオシーンとニアヴ
By Albert Herter – Thomas Wentworth Higginson, Tales of the Enchanted Islands of the Atlantic (1899), Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=15868379

残虐な歴史の舞台、グレンコー

ケルト好きの私としては、グレンコーの話をケルト神話の印象のまま締めくくりたいところだが、スコットランド人にとってはグレンコーといえばある事件を思い出さざるを得ないだろう。それは、 1692年に峡谷の最も近くにあるグレンコー村で起こった、あまりにも悲惨な虐殺事件だ。

当時、氏族同士の争いが根付いていたスコットランド。イングランド親派のキャンベル氏族は、宿敵であるマクドナルド氏族を罠にかけ、「イングランド国王ウィリアムに忠誠を誓わなかった」という口実で、政府から攻撃の許諾を得た。キャンベル氏族は調査という名目のもと、大勢でマクドナルド氏族の家を訪ね、親切にも夕食と宿を提供してもらった後、全員が寝静まる夜中に家々に火を放った。この事件で、女性や子供を含む四十名もの人々が焼死したそうだ。

罪なき無防備の村民に手を掛けたというあまりにも卑怯な手口に、実行犯であるキャンベル氏と指示を促したイングランドには、スコットランド中から批判が集まったという。

皮肉にも歓待した相手に殺されることになってしまったマクドナルド氏族。その後悔の念からか、今でも虐殺事件の起きた二月が近づくと、このグレンコー周辺では人々の叫び声が聞こえたり、当時の虐殺現場の幻が見えたりするという噂がある。夜中に峡谷を抜ける場合には、ここで虚しく命を落とした魂たちに弔いの祈りを捧げるのが良さそうだ。

村のクラチェイグ・インというパブでは、グレンコーの虐殺事件の背景から、今でも「(キャンベル氏の生業である)行商人もキャンベル氏もお断り」という看板を掲げている
By Paul Hermans – Own work, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=15566516

ケルト神話の伝説が受け継がれ、かつ残酷な事件により一層スコットランド人にとって忘れられない場所となったグレンコー。ぜひ実際に訪れて、この神秘の世界を体感いただきたい。次回もさらに北上し、ハイランド地方の北部へご案内しよう。

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