およそ100年前に二人の少女が妖精の写真を撮影したことで世間の注目を集めたコティングリー村。国民の多くが妖精の存在を信じかけた事件の舞台は、どんな幻想的な雰囲気に包まれているのだろうと昔から興味があった。車を走らせ、現在のコティングリー村を訪問することにした。
現在のコティングリー村を歩く
ウエスト・ヨークシャー州のブラッドフォード市に位置するコティングリー村。ブラッドフォードに入ってすぐに目に止まったのは、道路の両脇にずらっと立ち並ぶアラビア語を掲げる商店と、イスラム教の服装をまとった道行く人たち、点在するモスク―街中がなんともエスニックな雰囲気だ。
後に聞いた話によると、ブラッドフォード市の人口の約20%はパキスタン系。これだけの割合を占めるのだから、一部のエリアがイスラムタウンになっていても不思議ではない。
道中に、現在のコティングリー村もイスラムの地域に変化しているかもしれないと覚悟をしたが、到着して目にしたのは拍子抜けするほど閑静な住宅街であった。
村の中心部には、コミュニティー・センターがあり、その前にコンビニやテイクアウトの飲食店などの商店が数軒。メイン通りに沿って大きなグラウンドがあり、緑に包まれた村の様子に少しずつ期待が高まる。


商店街の向かいに緑の広場があり、そこにエルジーとフランシスの妖精写真のモニュメントが建てられていた。現在ではすっかりこの出来事が村の象徴となっているようだ。

村を散策していると、新しい住居が集まる一帯に辿り着いた。この辺りの道も新たに開発されたのだろう。Titania Close、Oberon Way、Lysander Way、Goodfellow Crossなど、シェイクスピアの『夏の夜の夢』という作品に登場する妖精の名前にちなんで名づけられている。なるほど、どうやらここは、エルジーとフランシスが妖精写真を撮影した小川の流れるエリアらしい。随所に妖精に関連付けた痕跡があり、やはりこの村は「妖精の村」なのだと確信し、さらに歩を進める。

私が訪問したのは7月末。村の公園ではちょうど 「フェアリー・フェスティバル」が開催されていた。妖精事件で有名なコティングリー村独自のお祭りということではなく、イギリスでは夏になると至る所で「フェアリー・フェスティバル」が開催されるという。地元の子供たちが妖精の格好をしたり、大人たちが妖精にまつわる地元の民話を聞かせたりして、ご近所同士の交流時間を楽しむそうだ。
コティングリー村の「フェアリー・フェスティバル」では、妖精にちなんだグッズを販売する商店や可愛いらしいスイーツ店など、十数店舗ほどが出店していた。その中で、「コティングリー妖精事件」に関連するアイテムを販売している店を発見したので、記念に私もマグカップを購入した。

スイーツも妖精のようにキラキラ ずらりと並ぶ妖精グッズに思わず目移り
この年のお祭りの主催者はキースリーという、コティングリーから10キロメートルほど離れた町で、ベリーダンス教室を開くクリスさん。今年初めて主催を担当したという。彼女をサポートするダンス教室の生徒たちはベリーダンスの衣装に妖精の羽や髪飾りを付け、エスニック感漂うダンスでお祭りを盛り上げていた。

お祭りの参加者数名に話を聞くと、コティングリー村だけでなく周辺の町から足を運んでいる人も多いようだ。「コティングリー妖精事件」について知っているか尋ねると、誰もが「知っている」と答えた。中には、写真の撮影現場となった小川に棲息するハエの羽が垂直に立っているので、それが妖精に見えることもあるという一つの見解を教えてくれた人もいた。この周辺に住む人々であれば今でもこの事件は有名であり、誰もが真相について持論があるようだ。
100年の年月が経過し、少女たちの嘘が明らかになった今でも、「コティングリー妖精事件」は村のアイデンティティとして残り、地域のイベントや人伝いで当時の話が次の世代へと語り継がれている。あの出来事は「少女たちのいたずら」という位置づけをとうに越え、「民話」のようにして地元民の中に生き続けているのだった。
次回は、いよいよ妖精写真が撮影された実際の家を訪問する。