夕暮れ時の下校時間、帰宅すると決まって自宅の庭に目を凝らす。空が神秘的な色に染まるこの時分に、何か不思議な生物が現われやしないかと淡く期待して。
当時、地元の小学校で流行していたエミール・シェラザードの『妖精さんタロット占い』にはまっていた私は、心を研ぎ澄ませば妖精が見えるのではないかと本気で信じていたのだった。学校では、「妖精さん」が紹介してくれるおまじないを友だち同士で試してみては、その効果がいつ出やしないかとドキドキして日々を過ごしていたものだ。
大人になったいま、そんな「妖精」への興味を人前で話すと、大抵は奇異の目で見られる。日本では、「妖精」は子供向けのおとぎ話として受け入れられており、子供たちはいつの日か必ず「妖精」を卒業する時期を迎えなくてはならないらしい。
私が暮らしていたイギリスの国では、「妖精」は古代から人々の心に住みつき、現代の人々の生活にまで密着して生き残り続けている。コッツウォルズのアンティークショップでシシリー・メアリー・バーカーの「花の妖精」の絵を購入した時、店主の男性が「私は妖精を信じているよ」と真面目に語ってくれたのをよく覚えている。

妖精の起源はケルト民族の文化に由来するが、その説は様々で一つに定まっていない。古代ケルト民族は自然信仰であり、自然界のすべてのものに精霊が宿ると信じていたことから、それを妖精信仰の始まりとする説。ケルト神話では、アイルランドに上陸したダーナ神族が敵族であるミレー族に敗れた際に、地下世界である「妖精の丘」に追いやられ、小さな妖精となったという説。あるいは、妖精は妊婦や赤ん坊の霊であるという説もある。

どの説が有力にせよ、古代から始まり、キリスト教が布教された後も、そして現代に至るまで、地上世界とは異なる別の次元に、’The Otherworld‘(日本語でいうと「あの世」や「黄泉の国」に当たるだろうか)と呼ばれる妖精世界が存在するという信仰が残り続けていることは事実である。妖精は信じないと主張するイギリス人の友人でさえ、「私は妖精なんて信じないわ」と口にするたび、「あ、そう言うと妖精が一人死ぬんだったわ」と思わず口を塞ぐようにしていた。無意識のうちにイギリス人の日常生活に、妖精信仰が染み付いている証だろう。

日本では、ディズニー映画を筆頭に、妖精の存在は「おとぎ話(fairy tale)」と共に輸入され、あくまでも子どもの想像物としてとらえられている。それに対して、古代からの信仰として妖精を受け継いできたイギリスでは、その存在を信じようが、信じまいが個人の自由で、誰も互いを干渉しようとはしない。完全なる思想の自由である。つまり、どこかの成長過程で「卒業」する必要はないのだ。
私自身、その存在を頑なに信じているわけではないが、日本の大人たちがいつしか卒業してしまった「妖精」の世界(The Otherworld)が、当たり前に生き残り続けているイギリスの文化に、強烈に心を奪われた。この、私が魅了された幻想的なイギリスの日常を、この場で皆様へ伝えることで、日本では「タブー」となった、心の奥底で信じたいと思うような、自由で美しい発想をふと思い出していただけるきっかけになればと願う。
まるで、かつて英国文芸復興の発起人となったウィリアム・モリスが News from Nowhereという著作にて、人々が生き生きと好きな仕事に従事する理想郷(モリスは「どこでもない場所(Nowhere)」と名付けた)を描き、産業革命で疲弊した労働社会に警鐘を鳴らしたように。’The Otherworld‘の世界を伝えることで、現代の多忙な日本の皆様にとって、 忘れかけていた純粋で自由な思考を取り戻せる、癒しのような場でありたい。
そのような思いから、満を持してこのウェブサイトを ‘News from the Otherworld‘と題し、これから幻想に満ちたイギリスの文化の数々を紹介させていただきたい。摩訶不思議な世界を通して、「大人だって、夢を見続けても良い」、そう思っていただければ本望。
